アーユルヴェーダ・ヨガを学んで自分に起きている変化

インド哲学やアーユルヴェーダ、ヨガを学んで行くうちに、自分に起きた最も大きな変化は、

氾濫する情報から自分には何が必要なのかを考え判断できるようになり始めたことだ。


 私は自分の体調や気分の波の大きさに長年悩んできた。

肥満・消化器系の不調、気分の落ち込み・怠惰・苛立ちなど上げればきりがない。

不快な症状を少しでも改善しようと様々な食事法や健康法を試してきたが、思うような手応えは得られなかった。

そこでまずは『自分の体質』を正しく理解し、その扱い方を学びたいと思い、アーユルヴェーダを学び始めた。

まだほんの一部分を学び始めたにすぎないが、体質を理解していないことから生じる不安や苛立ちで右往左往したり

無駄なものを購入したりする機会が減った。


 アーユルヴェーダに興味を持った当初、インターネットでドーシャ診断を試してみた。

どのサイトでも『ピッタ』という結果が出たため、私は自分はピッタ体質だと思い込んでいた。

アーユルヴェーダに関する知識が殆ど無かった私はそれを鵜呑みにし、ピッタ体質の食事・過ごし方を実践した。

しかしながら、期待していたほどの変化は見られず、アーユルヴェーダの健康法に疑問を持ち始めた。

 その後、本当に自分の実践している方法が正しいのか確認したいと思い始めた。

それと同時に『本当』に健康な状態の心身とはどのようなものなのか体験してみたくなり、

スリランカのアーユルヴェーダ治療施設に13日間滞在した。

問診や脈拍・血圧の測定の他、様々なアーユルヴェーダのトリートメントを受け、

最終日にドクターによるドーシャ診断を受けたところ、結果は全く違う『カファ・ヴァータ』だった。

どうやら私は、自分の本来の性質を勘違いしていたのだ。

 自分を正しく理解していない状態で、自己分析したところで正しい診断結果など出るはずがない。

正しい知識を持たず、理論も理解していなかったため、ドーシャが乱れている事すら分からなかったのだ。

私は幼い時から自身の体型や性格に強いコンプレックスを持っており、自分を好きになれなかった。

『こうありたい、こんな風になりたい』という憧れが更に錯覚を生んでいた可能性もある。

自分の性質をありのままに受け入れることができず、その結果自分を歪めて見ていたのだ。

 

スリランカから帰国後、正しい知識を身につけるため、アーユルヴェーダの講座を探し始めた。

本を何冊か読めば分かるような表面的な知識を教えて終わるような講座ではなく、

もっと深い根幹部分の理論を学べる講座を探した。

そうして幸運な事に良い先生に巡り会え、そこでもまた自分の『錯覚』に気付かされた。

 本やインターネット上に書かれている情報を鵜呑みにするだけで、その情報を自分で考え検証し、

自分に必要なものを選ぶという作業を怠っていたのだ。

 例えば、何を食べるかにしても自分の住む地域の気候や風土をまず理解しなければならない。

数千年前にインドで発祥し、インド人向けに書かれた聖典の内容をそのまま現代の日本人の生活に完全に当てはめるようとすると、やはり無理が出てくる。

 例えば、自生する植物も勿論違ってくるので、スパイスなら薬味に、ハーブは日本に自生している薬草(ヨモギ、菖蒲、柚子など)に置き換えるなどのアレンジが多少必要になってくる。

 海外の目新しいものは魅力的に見え、ついつい飛びつきたくなってしまうが、

冷静に日本の伝統的な食生活・風習を見直すと、実はアーユルヴェーダの理論に沿っている『隠れアーユルヴェーダ』みたいなものが意外と出てくる。

 表面的な情報をそのまま鵜呑みにしていた私は“アーユルヴェーダの食事法=スパイス料理を食べる事”といった、視野の狭い錯覚をまた起こしていたのだ!

理論を学んでいけば、伝統的な和食もアーユルヴェーダの食事法に当てはまることに気づく。

 

また、季節・一日の時間帯・様々な状況下でドーシャのバランスは常に動いているという。

そのため、『自分はこのドーシャ体質だから、これさえやっておけば、これさえ食べていれば大丈夫』

という単純なものではないということも学んだ。

その時々で変化する身体や心を観察し、その時々に応じたケアが必要なのだ。

 まずは本や講座で得た知識を自分の実生活にどう当てはめるか考え実践する。

実践したら今度は自分の状態がどう変化するか観察し、自分に合った方法なのか検証する。

このステップを繰り返し行うことで少しずつではあるが、『心身のダウンタイム』みたいなものが浅く、短くなってきた。

 そうして不安を解消するために闇雲に買い漁っていたサプリメントや健康食品や様々なモノがさほど必要ではないことが分かってきて、余分なものを抱え込むことが減った。

 それと同時に様々な物に対して『これは本当に必要か?』と自問自答する癖もつき、部屋も片付き始めた。

ソヴァーディヤーヤ(学びの実践)から、アパリグラハ(不貪)に繋がったのではと思う。


 正しい知識を入れていく事で、頭の中・心の中は静かになっていく。


“さとらぬ間は何だかだと考える。池に壷を入れて水を満たす時、

ボコボコ音を立てる。いっぱいになると音は止む。”

 ― 参照『インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯 / 田中嫺玉 著』


 義務教育ではなく、自分が本当に学びたい事を学ぶことができている今の状況に私は大変感謝している。

正しく学んで身につけた真実だけが、自分を無知から生じる苦悩や混乱から抜け出す手助けとなる。

しかしその中で忘れてはいけないのが、学びを実践し、自分自身の経験に落とし込んでいくという事である。


“確かにあなたが引用された聖典の言葉は豊富です。
しかし、ご自分の実際の体験からどのようにあなたご自身の説明をつけることができるのですか。
あなたがご自分の中に吸収して、ほんとうに自分のものにされた聖典は一体どれですか”

― 参照『あるヨギの自叙伝 / パラマハンサ・ヨガナンダ 著』

 

知識が頭に入っただけで満足せず、しっかりと咀嚼して自分に染み込ませることが『学ぶこと』であることを忘れず、今後もソヴァーディヤーヤーを実践していこうと思う。

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