インストラクター?それとも先生?
ヨガのティーチャートレーニングに参加している私。
他のティーチャートレーニング参加者に、動機を聞いてみると大きく2つに分かれる。
ひとつはヨガインストラクターを目指す人たち。
もう一方は自分の学びを深めたい人。
私の場合は後者。
厳密に言うと、『この人だ!』と思う師匠がなかなか見つからないため。(今も探し中)
それだったらいっそのこと自分で正しい練習方法をマスターして自分で練習できるようになってしまえ!と思い、トレーニングに申し込んだのだ。
色んなレッスンを受けてみて感じるのは、
〝インストラクター〟は沢山いるが〝先生〟は少ない。
…我ながら偉そうな言い方。笑
でもそう感じてしまうから仕方ない。
〝師匠〟までいくとなおのこと見つけるのが難しい。
『通うスタジオやレッスンをころころ変える人を業界用語で〝ヨガジプシー〟と呼んだりします』
という、ちょっと批判的な表現を堂々と自身のブログにアップしている先生がいた。
でも、通うスタジオ・どの指導者を選ぶかはその人の自由。
そもそも他人が口出しすることではないのだ。
自分のレッスンに来なくなった生徒さんへの腹いせみたいでカッコ悪いなぁと思ってしまった。
他にも、〝アーサナバカ〟とか〝ヨガモンキー〟とか知る価値があるのか疑問に思う業界用語がブログ内に並べられていた。
この先生、性格というかレッスン前後など普段の言動を観察していると、う〜ん、何だかなぁ〜…と感じる事があったけど、
知識や経歴や資格・指導内容は大変良かった。申し分なかった。
でも、レッスン中に聞かせてくれる聖典の教えの内容が先生の言動からは感じられなかった。
暗記と実践は違うのだ。
何となくモヤモヤしながらもレッスンに通っていたが、先程のブログ上での他人に対するネガテイブな記事がトドメとなり、レッスンにはパッタリ通わなくなった。
ヨガの教えの中に〝アヒンサー(非暴力〟というのがある。
殴る蹴るなどだけでなく、言葉や思考も暴力に含まれる、とされている。
もし、アヒンサーを正しく理解し実践できていたら、恐らく他人をバカにしたり罵るような言葉は出てこないと思う。
あと、
『私のレッスン来て!』
『私のワークショップ来て!』
と自分の宣伝ばかりの先生が多い中
『是非色んな先生のレッスンを受けてみてください。そしてその中で自分なりのヨガを作り上げて行けばいいんです。』
と言う先生がいて、たいそう感心した。
『私が、私が』ではないのだ。
それに本当に素晴らしい先生であれば、必死に宣伝せずとも自然と生徒さんは集まるはず。
私がインド哲学に興味を持つきっかけになったラーマ・クリシュナの言葉にこんなのがある。
『蓮の花が開いたら、呼ばなくとも蜜蜂は自然に集まってくる』
その通りだと思う。
ひとりでも多くの人が良い指導者に出会い、自分らしく良い心で生きられたらいいなと思う。
私の師匠探しはまだまだ続きそうだ。
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