ヨガの小話〜なぜベジタリアン?〜
ヨガでは菜食を勧めている。
その背景はヨガの八支則のなかの、『ヤマ(慎むべきこと)』の5項目のひとつ
『アヒンサー(非暴力)』から来ている。
逃げ回るもの、抵抗するものを無理やり捕えて殺して食べるというのが『ヒンサー(暴力)』に当たるという解釈だ。
また、すべての生類に思いやりを持つという観点から、
動物や魚だけでなく、植物(一部の野菜など)も食べることを制限している流派もある。
例えば根菜。
果実などであれば収穫しても、その母体となる木や苗は生き続け、また実を結ぶ。
しかし根ごと食べてしまう根菜はそうはいかない。
収穫したらそのものの命を根元から奪ってしまい、再生不能にしてしまうという考えから、
一部の厳しい流派では根菜を食べることも禁止している。
しかし、この背景にはアヒンサー思想の他、インドの厳しい気候も少なからず関係していることが予想される。
食糧不足と常に隣り合わせ、現代のように食品の保存技術も進んでいなかった。
そのため、植物を根から食べつくしてしまい、
食糧不足で自ら滅びてしまうのを避けるという理由も少なからずあったのではと考えられる。
肥沃な土地に潤沢な水がある土地では、なかなかこんな発想は出てこないはず。
なので、日本に住む私たちがむやみやたらに『そういう教えだから』、と食べ物を制限するのは少しちがうのでは・・・と思ってしまう。
もちろん、それを他人に強いるなんてのはもってのほか。
ちなみに私自身、過去にヴィーガン(動物性の材料を一切除く食事)に切り替えたことがあった。
きちんとした知識や情報を持たずに行ったもんだから、結果は散々。
体温は下がり、いつも寒い。
免疫力は下がり、気温のアップダウンがあるとすぐに風邪をひく。
駅から徒歩5分の道のりが何キロにも感じられ、家にたどり着いた瞬間にベッドに倒れこむ始末。
3ヵ月で危険を感じて通常の食生活に戻した。
他にもカフェインを含むコーヒーや『精』のつく、玉ねぎ・ニンニクなども瞑想の妨げになるとして、控えるように教える流派もある。
しかしながら、やみくもにそれにしがみつくのでは無く、
時代背景・気候・思想・自身の体質・・いろんな要素を考慮して自分なりに何をどう食べるのか選択すればよいのでは、と思う。
ちなみに以前シヴァナンダヨガのYOGAコースに参加した際、そこでも食事の話が出た。
『あくまでひとつの思想として聞いてくださいね・・・』という前置きがあり、菜食のメリットを教えてくれた。
バターやチーズなどの乳製品はどうなのか聞いてみたところ、
それらは『排泄物』としてとらえるので、特に厳しい制限はしなくてもいいのでは、とのこと。
結局は本人の思想・意志なのだ。
YOGAの良いところは、『あれをしろ!これはするな!』という命令形ではなく、
『~すると良い。~は控えたほうが良い。』と、あくまで本人に選択の余地を残したうえで沢山の智慧やアドバイスを与えてくれるところ。
見聞きした情報を鵜呑みにせず、自分でしっかりと考えて選択し、行動に移す。
食事にかかわらず、日常生活でも当たり前にできるようになりたいプロセス。
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